日々綴り

徒然なるままに、適当に

遅刻

 僕はよく遅刻する。仕事の締め切りやクライアント様に対しては、そりゃあ、真面目に守る。それは”命”であるからだ。自分の人生を送る為の信用がお金であるならば、仕事の信用は守らないといけない。

 それだけである。 

 

 一方、親しい友人との待ち合わせは、遅れてしまうことが多い。最近、友人も納得したらしく、自主的にカフェとかで待っていることがある。 

 「ごめん、15分ぐらい遅れるわ」と言ったとき、既にカフェにいるなんて言われて笑ってしまった。悪いと思いながら、自分を律する事が出来ない。なんとも碌でもない人である。 

 中学生のとき、「君は人間らしい」と言われた。宇宙人を改めたということではない。

 先生からも言われたが、同級生からも同じような感想を抱かれた。

 今思えば、人間の感情的な部分にしがみ付いて生きてきたような気がする。弱い人間達の時間的遠距離の中で。ひたすらに揺蕩うように。 

  

 カフェで待つ僕の友人も、実はよく遅れる。 

 その友人も遅れるから、僕もそんなに気にしていないのだろうか。そんな気がする。

 

 僕は時間を大切にしている方だと思う。

 「何言ってんだこいつ」と思うのは正しい。 

 でも、少々待ってくれと言いたい。

 

 それは他人と共有する時間というより、個人的な時間のほうであるからということなのだ。 

 バスを待つ時間、映画を観るときに待つ時間。 

 暇な時間というのは非常に勿体ないなと感じる。なので、僕は本を持ち歩いている。SNSをみるのもいいが、辞めてしまったので、本になった。 

 ある程度の大きさのバックを買って、何でも入れられるぐらいの気持ちでそれを使用するようにしている。

 実際に入るのは、それ程でもない量ではあるが。その大きいかどうかわからない鞄の中に本を入れている。(厳密には傷つかないように小袋の中に入れてある。)そこから、取り出し、読む。

 その繰り返しだ。 

 

 相手が遅刻してきて怒るということをよく耳にする。

 僕からしてみると、そこまで張り詰めて疲れない? と聞いてみたい。残念ながら、真面目な人ほど、気難しいし、社会に対してのストレスというのは大きそうだ。

 実のところ、自分の時間を無駄にされたという嫌悪感が存在しているのではないかと思っている。 

 だから、僕は本を常に持つことをオススメしたい。

 本はある程度値段が張る。でも、値段以上の価値と副次的効果を齎してくれる。それに、とても良い時間つぶしになる事まちがいない。 

 まあ、僕は本より、モラルを持つべきかもしれないが……。