今週のお題「懐かしいもの」
あの苦さは二度と忘れない。
高校生のときだった。イキってブラックコーヒーに手を出した。
前週に友人と賭けをして、負けたやつがジュースを奢るという話になった。皆いいよといって、誰が負けるだろうと意気揚々としていた。
そのうちのひとりが、(kという)が結局負けた。僕と同じやつに賭けたのだが、一人のほうが面白いという安直な理由でじゃんけんをすることになった。そして、じゃんけんで僕が勝ってしまった。
というか、そんなもので勝ち負けを決めていいのかと驚きはしたが、まあ、僕が勝ったのだと肩を荷を下した。そう思った。思うことにした。
彼が負けたから、僕たちは約束通り奢ってもらった。僕以外の二人は160円のジュースをそれぞれ買ったが、僕は120円のブラックコーヒーにした。なぜかわからない。彼の出費を抑えたかったのか、それとも、ある種の社会に対しての小さな小さなミジンコ以下の反抗であり、苦い大人の味というものに憧れた、謎の憧憬なのか。
今ではそんな風に思うが、そんなことより当時は背伸びのほうが幾分大切だった。
僕は苦虫を噛み潰したような顔をしながら飲んだ。
すると、それをみたkはこういった。
「それ美味い? 美味しそうには見えないんだけど。もう一本、別の買えば? 僕は奢らないけどさ。俺が罰ゲームなはずだろ、もう君が罰ゲーム受けてるじゃん」
「まあ、確かにそうなんだけど。イキってみたかったんだよ。大人がなんでこれを飲んでいるのか理解に苦しむんだけど」僕は茹蛸のような顔をしていたに違いない。
他のやつらは笑っていたが、彼だけは笑わなかった。猜疑心を抱いているかのような目をこちらに向けるだけで、笑っていなかった。正確には笑っていた。
だが、それは愛想笑いであり、僕に対しての本気の笑いというわけではないようだった。
そのkは真面目だった。真面目というか、生真面目すぎるともいえる。
先生に反抗するときも、真正面から反抗する。しかも、正論で論破してしまうから、幾分質が悪い。
あるとき、僕は先生と喧嘩した。入学して数日で、僕は興奮冷めやらぬ勢いでバスにのり登校していた。そりゃ、自分のお気に入りのヘッドフォンであるならばワクワクするものだ。僕の高校はスマホを持って行っても問題無かった。学校の中で、電源を入れなければ大丈夫という、そんな校則だった。そんな中、僕はヘッドフォンを持って行っていた。小遣いで買った安いヘッドフォンである。Bluetooth接続できる2000円ほどのヘッドフォンは青色で少し派手だった。安っぽさを自己主張し、時間がいくらあろうと主張し続けているような、そんな風に。僕の手にあるシルバーピンクのiPhone8plusには少しアンバランスで、入学したての人間関係にシーソーのように傾く、そんな僕にはちょうどいい塩梅だった。
その派手なヘッドフォンをある体育教師が見たときだ。
その時に先生は怒った。
「そんなもの学校に持ってくるものではない。もう少し、派手じゃない、黒色や灰色にしなさい。そちらの方が好ましい」
そういった先生に対して、僕はたじろきながらも応答した。
「色なんて関係ないでしょう。学校は勉強するところであって、これといってこのヘッドフォンにたいして有効な校則も特にないでしょう」
数千円したこのヘッドフォンを別のやつに変えるとなると、お金を損した感じになってしまって、嫌だと思った。それだけはひたすらに避けたい。そうやっていうと、先生は烈火の如く怒りはじめた。なんだと、ちょっとこい。ああ、また叱られるんだなあと思ったとき。
kは言った。
「校則のなかに、そんなヘッドフォンに関しての校則はありません。風紀を乱すと書いてありますが、まず、風紀とは何でしょうか。それから教えて頂きたく存じます」
真顔(まさに真面目そうな顔)でそういうと、先生は答えられなかった。
ほわほわした、概念というより感想を述べた。それは何ですか? と問いの答えに関して何回も問うものだから、先生も最後のほうは答えられなくなった。
どちらかというと、僕より随分と先生の方が気の毒だった。同情した。大人になって教師となり、ある程度、歳がいったときにバス停で生徒から論破される。辛い、あまりに、辛い。
その後はというと他の先生がフォローに入り、その場は丸く収まった。いや、ある程度は角ばっていたかもしれないが。
彼は僕の中でソクラテスとなった。いつか裁判で死刑宣告されそうだなと思いながら、その場を僕は後にした。
そこから数日たったとき、彼は僕の隣にいた。
普通に友人となった。
多少ひねくれた(僕からするとだが)彼は僕からするとある意味、面白い存在だった。ホームズをみるワトソンのような気分だったのかもしれない。
彼は理系分野が好きか、得意なのか、というとそうでもないらしい。
現代文と英語と世界史という何とも文系まっしぐら。理系科目は苦手なのに論理的思考はずば抜けて、得意なようだった。
数学はなぜ苦手なのかと聞くと、別に将来使う気がしないという至極真っ当な理由で忌避しているだけだった。だが、赤点を回避するどころか、いつも、どれも平均点以上という彼は凄く優秀であった。
僕は勉強は苦手だ。面白くないし、興味が持てなかった。
それより友人達とカラオケにいったり、ゲームをしたり、はたまた中学生のときの友人達と遊ぶ方が楽しかった。
僕はどれも平均点、まさに可もなく不可もなしだった。英語と数学、世界史の三科目が学年で上位5%ほどだったが、俗にいう五教科以外の他科目はなんというか全滅だった。
特に実技が苦手で、体育なんて自分で終末感を見出したほどだった。神と神の衝突で今にでもこの授業消えさんねーかな、終わんねぇかなと思ったほどである。それほどまでに、あまりに、終わっていた。長距離なんて走れたもんじゃない。
彼は運動もできた。それに加え、ある程度顔つきもよかった。
なのに、女子に関して凄く嫌悪感を持っていて、常に光より影に巣くう妖怪のようなやつだった。
頭がよく、運動が出来て、イケメン。優良物件もいいところ。なのに、彼女はつくる気はないといった。そこ代われと言いたくなる。そんな男だった。 女性関係に何かトラウマがあるのだろうと思った僕は、特に聞かなかった。人間には聞かれたいことより、聞かれたくないことの方が多いはずだ。
あれから六年が経った、ある日。
そんな彼からLINEが届いた。彼のLINEの名前をソクラテスにしている僕は「ソクラテスじゃん」と思って恐る恐る通知を開けてみた。六年間連絡が無い、そんな友人から写真で連絡があるとびっくりするものだ。
壺要らないか? と連絡してくるんじゃないかと、そんな不思議な行動に訝った。驚きながら見てみると、彼は普通に生活をしていた。
国家公務員となり、税務署で働いているようだ。
しかも、職場の同期と彼女を作り、生活しているようだで本当に幸せそうだった。写真をみてみると笑顔も笑顔で、ブラックコーヒーのときの笑顔とは違って見えた。心から笑っていた。
なにか、この六年で彼の救う何かが起こったのかもしれない。
是非、幸せになってほしい。そうおもう。
あの時のブラックコーヒーは何だったのだろうか。今でもよくわからない。でも、少し背伸びしたのは確かだ。大人の景色に憧憬したのも事実だろう。
でも、ある程度、大人になった僕はブラックコーヒーを飲むようになった。あの苦みが今では美味しく感じる。
社会の苦さを少し経験した僕たちは少しだけ、アンバランスな成長を遂げ、ブラックコーヒーを飲めるような人になったのかもしれない。
いや、そうおもいたい。