僕はまだまだ若い21歳です。実に若者です。まだ世界を知らずに、ずっと机上の知識にすがり、救済を望んでいます。
そんな青臭い若者にも、ある種の絶望というものは、団体様でやってくるものです。高校受験の失敗、大学受験の失敗、進学し鬱で中退。なんとも、幾千山千の大人からしてみると軽い絶望でしょう。
でも、当の本人からしてみると、絶望には等しいものです。黒色は黒なのです。彩度が異なるだけだ。今まで、自分の中にあった何かが、スッと消え去る。というか、ぽっきり折れる。そんな風に思えてしまうのです。それまでの全能感やハッキリとした自信は無くなります。
本当にささくれのようなもので、小さいものでも激痛を伴う傷というものはあるのでしょう。
そんななか、僕は音楽に救われました。
amazarashi。
それが僕の神の名前です。僕はもう信者になってしまいました。Twitch配信を見ていて、その人が「いい曲だよ、聴いてみてよ」といったのが始まりです。
鬱になり、風呂には入れず、部屋のベッドで籠る毎日。買い物に行くときなんて、お酒がないと駄目なときもありました。気分はさながら、屠所の羊。そんななか、支えてくれたのがamazarashiでした。「フィロソフィー」、「ジュブナイル」、「未来になれなかったあの夜に」、「令和二年」、「カシオピア係留所」など名曲ばかり。
今でも、死んでしまいたい、消えてしまいたい。この世のすべてが敵にみえる。と思うことだって多々あります。だが、僕が死んでしまったら、僕のような苦しむ人の人生まで否定しているかのようで、堪らなくなり、死ぬのを辞めるということをしていました。この雨を防げるものがあれば、欲しい。
誰かは言うのです。止まない雨はないよと。
天国に行ったときに、ある人達に言ってみて欲しい。
アウシュビッツの人達に言ってみて欲しい。
地動説によって非難を受けた、ガリレオにも言ってほしい。
この世の苦しみに塗れた、全人類に言ってみて欲しい。
止まない雨はないよと。
黒は黒だ。透明でも、赤でもない。黒だ。準備をしていないと、真っ黒に汚れてしまう。
僕は声を大にして言おう。その傘をくれと。黒くならないように藻掻くからと。
全人類、歴史も含め時間に制限されない、愛のような合羽を着たいものだとひたすらに多分、号哭するでしょう。
社会にも希望をもてない。停滞期と後退期に差し掛かった、このタイタニック号は乗っていていいものなのか、それとも浮かびながらか、沈みながら、工事をするべきなのかすら、答えもでません。いや、答えはでているのだけど、誰もやろうとしないというのが正しいかもですね。 そして、僕もその一人。
そんなことは置いといて。
それ程までに追い込まれているときに、知ったのがamazarashiでした。
救われた。ささくれが大きくなり、心が壊死しているようなときには、スッと効くでしょう。ドストエフスキーの長ったらしい苦悩表現さえ、僕にとってはジェネリック医薬品でした。
そんなときは、amazarashiおすすめですよ。
そして一つだけ言いたいことがあります。今絶望している人に向けて。
絶望は団体様でやってきます。ゴールデンウイークの観光地のようにです。世の中の人たちはこう言います。いつか夜は明けると。でも実は開けない夜もあります。ある人は、止まない雨はないというでしょう。でも実は雨やまない夜もあるんです。
でもね。のんびりしておいたら、問題ないですよ。人生長いですからね。いい人生を送るために、路銀ほど苦しみを払っているんですよ。
雨曝しになりながらでも、休みましょう。
大きな鳥だって羽を休んでから、飛ぶじゃないですか。
ですから、焦らずに、自分のペースでしか、できないですよ。
他人なんてほっといっていいですよ。自分の人生に責任取ってくれないですから。
だって、自分ですからね。
そして、落ち着いたとき、支えてくれた人が居たら感謝してください。ひたすらに。
「あの時はありがとう。支えてくれて、助かったよ」と。
それだけで、貴方を愛している人は、嬉しいはずです。
「愛」って文字になる前、絵のときは、人がこちらを振り向いている様子だったようです。
誰かを思えたら、愛なんですね。
大事にしてください。
ありがとう。これで、音楽に救われた僕のように、救われる人がいっぱい居るはずです。
そして、ありがとうはこの社会には要るはずです。
それと、ここまで読んでくれてありがとうございました。すこしでも、参考になれば幸いです。若輩者の言葉ですが。