日々綴り

徒然なるままに、適当に

猫という可愛すぎる生物とシステム的救済

 猫というのはあまりに可愛い。僕が大好きな生物です。家族として迎えたことはありませんが、いつの日か迎えてみたいなとも思います。

 ですが、ある程度、裕福な方が幸せかと思うので、できるだけ迎えないようにしています。責任もありますからね。 

 家でのんびり一人で仕事できるようになったときに迎えようかなと思います。 

  

 古代エジプトでも愛されていたようですが、当時の人達のわからない訳がないですね。

 

 全力で同意しました。

 

 あれは可愛いもの、あまりにも。「かわいいもんね!」と思っていたら、実は穀物を食べるネズミを対処するために飼っていたということらしいので「かわいさとかじゃないんだ。でも、そっか、飯食えないか食えるかの時代だもんな」と思った次第です。なんとも、平和ボケしています。 

 

 平和ボケというより、隣の家の人が野良猫を手懐けていて正直、迷惑です。

 ノミやダニが寄生し、猫に餌をあげるために、その家の前の公園が猫のたまり場になり、子供達が遊べないという状況になっています。

 命に関わるなら、責任とれやと思います。 

 

 最近では地域猫というものがあるらしいです。あんな感じでできるのであれば、WINWINかもしれませんね。

 そして、社会問題をシステムで問題を解決した成功例のひとつだと思います。そういう記事をみると、感心してしまいます。 

 

 思考した能力、施行した実力、試行で終わらなかった気力。 

 

 そのような事例のどれをみても素晴らしいなと思いながら、一般的になることを期待しています。いつもながら、あれ程に可愛い生物たちが人間の身勝手さで殺されるのは惨すぎて、実に考えたくもないことです。 

 

 可愛さのなかに内包する責任を、僕たちはあまりにも、考えない。その責任をみたふりをして、カーテンで隠している。 

 

 これは僕たちは考えないといけないフェーズになったとも言えそうです。他の命たちに関して。

 

 生態系の命のなかで生きているということを考えないと駄目かもしれませんね。 

 

 でも、猫は可愛い。それは僕にとって事実なようです。