お題「ゲームで学んだこと」
まず、僕はゲームが大好きです。異常なほどにね。いろいろなRPGゲーム、FPSゲームをやってきたけれども、学べたことは山ほどあります。
やったことない人は「ゲームなんて、学べるものはない。遊びじゃないか」という人も居るだろうけど、僕はそんなことはないと思うのです。 遊びの中から物事を学ぶというのは、人間の本質でもあると思うからです。
もう一つの理由はどんなものでも経験として、また、知識として吸収することはできるから。
幼子の頃、躓いて転倒したりして怪我をする。そこから、ここは危ないんだなと学んで対応していく、それが遊びの中から学ぶという意味じゃないですかね。
その反省を旨に新しい遊びを考える。それすらも学びです。
確かに、僕はなにか、人とは変わっている人はいるかもしれないですが、その遊びに関しては一理あると思います。
悪くとも、この世には反面教師という言葉があります。悪いものからでも、良いものからでも、学べることはあるのです。
ゲームが児戯だとしても、僕は学んでいます。
例えばモンスターハンター。
モンハンでは諦めない心を学びました。友人に誘われて、初めてのモンスターハンターを買いました。
MHW:IBではアルバトリオンを倒すのに30回以上は戦いました。トリのミラボレアスでは、最低70回は乙り、心が折れかけました。スラッシュアックスで漸く倒しました。
あまりに死ぬのに、僕が普通に何もなくクエストにいくものだから、一緒にやっていた友人が呆れたのか「流石だな」と言ったほどです。聞いたときは、もう、笑っちゃいました。あまりに、冷静な彼がいうと、嫌味に聞こえるんですよね。それで笑っちゃいました。
戦っていたときは、諦めなければどうにかなる。ゲームのプログラム如きに負けていられない。それが僕の思いでした。というか、意地です。
するとクリアした際、当時、プレイヤー上位5%ほどになっていたことが分かりました。試行錯誤し、上手く修正すれば何も問題がないという点ですね。その努力がしっかりビジョンとして合っているのであれば、その努力も報われるという意味でしょう。
次に生態学、解剖学です。
骨格や骨格筋などに興味を持ち、生態などにも興味を示しました。世界観(その環境)に即した生態環境のすばらしさや、アカムトルムのような骨格から派生する、飛竜種骨格。
独自の科学的根拠と独特の世界観、確かな「なにか」の存在があの面白さと作っていたのだと理解したとき、仰天するように、天を仰いだほどです。
そして、現実にも素晴らしい地球環境が眠っているということに気付きました。
その僕も素晴らしい生態系の一部の生物に変わりないんだろうなと。盲目的に信じていたものが無くなって、新しい視点で物をみるようになりました。
RPGでは発想や、物語の作り方、感情の起伏、世界観の作り方などいろいろ学びました。というより、身に付いたが正しそうです。
仕事でアイデアが山ほど浮かんでくるのは、ゲームで培われたせいかもしれません。
どれだけ美しい虚構を作り上げることができるのか、というのがクリエイティブに対しての永遠の問いだと思うのですが。それがなかなか出来るわけではありません。
ゲームをやればやるほど、クリエイターたちの凄さに感嘆します。
サウンドボックスゲームの王道、マインクラフト。実は小学4年生からやっています。
いま21歳ですから、もう11年ほどやっていることになりますね。
最初は適当に遊んでいました。しかも、全然周りに知られたゲームではなかったです。少量のお金で買ってからというもの、瞬く間にハマりました。
ですが、やっていくうちに、赤石(レッドストーン)に興味を得ることになりました。疑似的な電気回路を作れるのですが、僕からすると、何ができるというのかわからないという状況でした。
それからというもの、Youtubeで調べ、自動ドアとか、農場とかを作ってみているうちに、いろいろできるようになるようになりました。
単純なOR、ANDなど、いろいろありますが、ある程度の回路装置なら自作できるようになったのです。
動画で紹介されている回路すら慣れていけば、どれも楽になりました。 動画で実況者の人達が独自に作る回路すらも容易に理解ができるようになった。
模倣から、独自性が生まれると知った(感じた)のは、この時です。
それから数年経つと僕はコンピュータに興味を持ちました。10歳ごろ、個人用のコンピュータをせがんで買ってもらいました。5万ほどだったと思います。
それにマイクラを入れると、バニラでは耐えきれなくなり、いつの間にかMODに興味を示しました。
友人とやるときはサーバーが必要になるし、MODのダウンロードや整理など、ディレクトリの操作などコンピュータに関する知識を仕入れる事が出来ました。
現代人として得したなと思っています。
これすら元々ゲームから得た経験なので、馬鹿にできませんよね? 今では少々のプログラムなら書けるようになったのです。
今、デジタルの人材を得なければならないと、皆(社会)は必死なようですが、正直、お金を投入し、従来同様の教育するだけというのは、未来の人材は育たないように感じます。
ただの、情報という受験教科の傀儡になる未来しか見えません。でも、好きな人が増えるのはいいことですね。イノベーションが生まれやすいのかと言えば、否でしょうが。
でも、いい事には変わりないと思います。闇夜に月あかりがスッと差し込んだように、ITインフラの教育が育ってない僕たちには必要な教育です。
子供のころ、勉強しなさいと言われて嫌な事をしたでしょうか?
しなかったですよね?
少なくとも僕はしませんでした。
勉強ができるようになったら、好きになるのは当然なのです。自分の成長がみえるんですからね。ドラクエでずっとスライムばっか倒していたら、退屈するじゃないですか。
それと同じです。
好きなことを学べば(感じれば)、必然的に必要な技能は、知識が必要で、そのためには勉学が必要となってきます。
そうすると自分の得意なことすら理解できるようになる。
そこからは自分の好きな道に行くのは好きにすればいいのです。 それを実感した時がありました。
従兄の子供にゲームが大好きな子がいました。その子は勉強より、圧倒的にゲームが大好き。僕の幼少期にそっくりの子でした。
その子と正月にあった際、将来の夢はあるのかと聞いてみると将来はゲーム開発(ゲームクリエイターになりたい)をしたいというものだから
「作っている人達(その子が好きなゲームを開発している会社)はいい大学を出ているんだ。日本で有数の頭の良さなんだ。日本人の上位20%にはならないといけないかな? それでないと、○○君が好きなゲームは作りづらいんだ。その他諸々、大人の事情も含むだろうけどね。学歴というのは、ある意味ボーダー(物差し)だよ。僕は此処まで頑張って、自分を信じて来れましたっていうね。そして、その中で得た知識、経験は他には得難いものだよ」
こう言ってみました。そういうと彼は「そうなんだ」といった。 ただ、納得し、頷いた。
それから、勉強を頑張るようになったそうだ。
マジかとおもって、聞いてみたらホントの様でした。
びっくりしました。
「好き」という感情は此処まで有用性を持っているのかと。
確かに、人生の相棒を決めるのも、彼女(彼氏)ができるのも、好きという感情でしたね。(まあ、LOVEとLIKEというのはありますけどね。)
だから、僕はこう思うのでしょうかね。
大企業の人達ですら、5年ほどの見通しなのに子供に二十年間の勉強をしていれば、二十年後、はたまた、30年後楽できるよというのは、酷だと。
このように、面白ささえ教えれば、夢中になるものなんですから。
僕もこの種類でした。19点の数学のテストが98点に変わるのは、いつの間にか僕の望む人生には勉強が必要になってしまったと気が付いたからです。
ゲームから学んだことというのは、多くあります。
失敗したときのアプローチの変え方、コミュニケーション、思考能力の偉大さ、どのように交渉すれば親からお小遣いが貰えるのかとかね。
最近では、ゲームは大衆総合芸術(オペラのようなもの)と言っていい物ではないかとさえ、思えてしまいます。
デスストランディング (DEATH STRANDING)については、あれはもう芸術でしょう。
安部公房は僕の好きな作家のひとりなのですが、小島さんも好きそうですね。ゲーム最初のオープニングのとき、安部公房の言葉が出てきたはずです。あれは衝撃を受けました。
ゲーム内に笑えるネタもいっぱいあるし、美しい自然と人工物の分布が自然である故か、独自の世界観の素晴らしさも引き立ちます。
そして、なにより、ストーリーが素晴らしい。
素晴らしい。
破壊というより、繋げるというのは、独自的な視点ですし、配達人というゲームは今までなかったでしょう。
小島さんの世界観と倫理観が引き立つ、芸術作品。彼はゲーム界のボッティチェリか、ミケランジェロでしょう。
そのようなゲームがあるのもいいし、おっぱいボン、ウェストキュッ、ケツプリのようなモノがあっていいと思うのです。
芸術は自由であり、作者が多様な世界観を持っているから、新しいイノベーションを生んでいけると思います。
なにも、一つの作品をレインボーにしなくても、それぞれが色を持ち、それを放っていれば一つの色の蛍より幾分、綺麗でしょう。もっと、世界はもっと綺麗なレインボーフラッグになる。そう思います。
今のポリコレに関して思うことですがね。
まあ、これぐらいにして、終わりますか。
いつまでも書けるなこれ、駄目だ。
いろいろなものが学べる。それがゲームだと思います。